木のぬくもりを感じる手刻みの家づくりがモットー

西村さん

素人ながら妻と2人で夢のマイホームづくり

 西村伊千郎さん(55)は大阪で生まれ、サラリーマンだった父の仕事の関係で高校を出るまでは東京で暮らし、北海道の大学を卒業後は東京に本社がある食品関係の会社に就職した。大阪、東京、さらに海外と転勤生活が続き、50歳を過ぎるまで自分の家を建てなかったが、2年前に会社を早期退職し、田辺市中辺路町近露(ちかつゆ)に築100年ともいわれる古民家を借り、妻と2人で移り住んだ。その後、借家から車で15分ほどの同町高原という熊野古道沿いの山の中腹にある集落に土地を買い、いまからちょうど1年前の2018年4月ごろから自分の手で家を建て始めた。
 50歳となり、2人の娘も成人し、仕事先の海外から日本へ戻ったのを機に、どこか田舎に終の住処をと考えるようになった。5年ほど前、リュックサックを背負って熊野古道を歩いていたとき、高原の絶景に出会った。「いいところだなぁ。こんなところに住めたらいいなぁ」と
思い、反対する妻と娘、親類を粘り強く説得し、夫婦2人で中辺路へIターン移住。自らの手で設計・施工のマイホームづくりを始めた。

 しかし、実際には土地を買うのも家を建てるのも分からないことだらけ。「移住するまでには市が主催のセミナーに参加し、農地だった土地の地目の変更や熊野古道沿いの景観条例の規則など、家を建て始めるまでは市の職員さんや地元の方に本当にお世話になりました」。独学で住宅建築のCAD設計システムのノウハウを身につけ、高校生と一緒に電気工事の検定を受験して資格を取得。木造平屋の屋根は一方向にだけ傾斜した「片流れ」、足場は礎石に柱が立つ昔ながらの「石場建て」、キッチン、リビング、寝室のほか、狭いながらも憧れだった書斎や薪ストーブも取り入れ、純無垢材のこだわりの家の図面が完成した。

 何でもとことんのめり込むタイプ、バイタリティーあふれる伊千朗さんといえども、家づくりに関しては所詮は素人。基礎や水道の工事はもちろん、ドアや引き戸の建具の部分などに関してはプロの手に頼らざるを得ない。あらき工務店の新城さんにも現場を見てもらい、「素人ながらこんな変わったことをやってるんですが…」と相談し、快くアドバイザーを引き受けてもらえた。「大工として手刻みの伝統の技にこだわる新城さんですが、ド素人の私の考えも尊重してくださり、プロの目で的確な助言をしていただいてます」と信頼を寄せる。
 2019年5月15日現在、全体の進捗率は7割を超え、「今年の秋には住めるようになるかな」とようやくゴールが見えてきた。去年の冬に使おうと、庭に積み上げたストーブの薪は1年先送りとなったが、今年の冬には夢のマイホームを温めてくれそうだ。

            

約2年がかりでついに完成!

 
玄関がない!?
 
 2021年4月、前回、取材をしてから約2年が経過した。伊千郎さん(57)が高原の自然とロケーションに惚れ込んで移住を決意し、妻と2人でコツコツ建てていたマイホームが昨年夏、ついに完成。アドバイザーとして家づくりをサポートしてきたあらき工務店の新城さんから連絡を受け、先日、再び取材で訪問した。

 仕事を少し早めにリタイアし、家づくりに関しては完全な門外漢ながら、木造建築、設計、電気工事などすべて一から勉強し、必要な資格も取得。第二の人生を楽しむため、初めて建てるわが家は設計や構法、建具、インテリアまでとことんこだわり、純無垢材の木の温もりがあふれ、どこか懐かしさも感じる家に仕上がった。
 「どうぞ、入ってください」。玄関はどこかとキョロキョロする私に、西村さんが家の中から、縁側の大きなガラス戸を開けながら声をかける。「え、ここからですか」「はい、うちの玄関はここなんです。さぁ、どうぞどうぞ」。
 この家には一般的な靴を脱ぎ履きする「玄関」という空間はなく、帰宅時や来客は沓脱石(くつぬぎいし)や踏石(ふみいし)と呼ばれる石の上で靴を脱ぎ、縁側からガラス戸を開けて中に入るというスタイル。「住むのは自分たち2人だけだし、これでいいかと思って」。初めて訪れた人は、この玄関がない家にいきなりかまされ、西村さんのちょっとうれしそうな「どや顔」を見ることになる。
 家の中は床、壁、柱、天井のどれもがスギの木。西村さんが自分で買い集めた国産の天然乾燥材で、天井まで無数の板を積み上げ、張り合わせ、やわらかな間接照明が心地よく部屋を照らす。

お気に入りの建具に合わせて設計

 隣の寝室は畳の和室。押し入れは一般的な紙の襖ではなく、高級旅館や料亭で見かけるような木製の工芸建具。「これは家の設計に合わせてオ
ーダーしたのではなく、この建具のサイズに合わせて設計しました」。ほかにもトイレのドアなど、気に入って先に調達した建具に合わせて周囲を設計したが、これも設計・施工がすべて自分自身ならでは遊び心。
 一見、おしゃれなペンションのようなこの西村邸。すぐそばの熊野古道を歩く人たちがカフェと間違って立ち寄ることもあり、家が完成間近となったある日、伊千郎さんと徳子さんが作業をしていると、古道を訪れたニュージーランド人のカップルから声をかけられ、「仕事を早期退職し、東京から移り住んで手作りで家を建てている」と説明すると、「ワオ! コングラッチュレーション!」と笑顔で祝福されたという。サラリーマン時代、中国で購入したアンティークのローボードも見事にマッチしている。
 台所は、シンクと調理台がダイニングテーブルとフラットにつながり、料理を作る方は床が一段低くなったダウンフロア。立って洗い物をしたり料理を作る妻徳子さん(55)と対面のいすに座る伊千郎さんが同じ目の高さになる工夫が凝らされている。
 押し入れの上はロフトのようなスペースで、いまは物置きとなっているが、将来的には遊びに来た孫の遊び部屋になる予定。また、押し入れの反対側には伊千郎さんの書斎があり、ここもあえて横長の小さな窓にし、目の前に果無(はてなし)山脈がまるでパノラマ写真のように広がる。

男のロマン、満足度120%

 標高340㍍の霧の郷高原に、2年がかりで完成したマイ
ホームは、空気の澄んだ朝には眼下に雲海が広がる。伊千郎さんは縁側からの景色を眺めながら、「家づくりは、かっこよくいえば、一生に一度の男のロマンでしょうか。この素晴らしい景観と土地にめぐり逢え、いろんな方との出会いがあって、夢をかなえることができました。満足度は120%です」とにっこり。「とくに、常に進捗状況を気にかけ、要所で的確なアドバイスをいただいた新城さんには本当にお世話になりました。こんな言い方は失礼ですが、この家に関しては商売抜きに、一緒に面白がってやってくれていたと思います」という。
 母屋の隣には、伊千郎さんの趣味のスペース兼作業小屋の「隠れ部屋」も完成した。釣り竿やルアー、ロードバイク、音楽CDなどが並び、さらに奥の床には小さな囲炉裏もあって、妻やお客さんと魚や肉を焼きながら、楽しいお酒を飲む時間が最高に至福のひとときだという。
 今後の予定はまだ決まっていないが、「家の下にある空いた土地を使って、熊野古道を訪れる人をおもてなしできれば」。57歳、伊千郎さんの夢はまだまだ終わらない。