木のぬくもりを感じる手刻みの家づくりがモットー

 大工の新城さんが目指す仕事は、「丈夫な家をつくる」こと。 墨壺、差金、ノコギリ、カンナなど昔ながらの道具を使い、目の詰まり具合や節の場所など一本一本の木のクセ、強さを見極めながら、文字通り「適材適所」で木を組み上げていく。 木の国といわれた和歌山県でさえローコストのプレカット材が主流となったいま、あえて手間暇がかかる手刻みにこだわる理由は、安全で快適な居住性はもちろん、「プレカットよりはるかに丈夫な家を建てる」という自信とプライドがあるから。そして何より、「大工の仕事の難しさ、面白さ、醍醐味を感じられるから」といいます。 そんな木のプロフェッショナル、新城さんに大工になったきっかけ、木への想い、職人としての仕事の流儀をお聞きしました。

生まれは東京葛飾区 両さんみたいな子ども!?





                   
 


 新城さんは1969年11月、東京葛飾区の下町に生まれました。両親はともに集団就職で上京、同じ職場で出会って結婚。父は和歌山県の日置川町(現白浜町)、母も和歌山県の南部川村(現みなべ町)高城の出身で、東京ではカバン製造業を営んでいました。兄弟は男3人。みんな手先が器用で、新城さんも工作やプラモデル作りが大好きでした。「子どものころはかなりやんちゃな方でしたけど、一人で何かを作ることも好きでした。プラモデルは子どもらしくない、戦艦とかを夢中になって作ってました。学校の先生に頼まれて、彫刻刀で木を彫ったりもしていましたね」。子どものころは「こち亀」の両さんみたいな少年でしたが、友達も先生も、周りのみんなが認める器用さは、カバン職人の両親から受け継いだDNAだったのかもしれません。




23歳で伯父に弟子入り


 菅原文太主演の映画を見てトラック野郎に憧れ、学校を出てからは大型貨物の運転手をしていましたが、バブルの崩壊により失業。23歳でトラックを手放し、次の仕事に選んだのはもう一つの夢だった大工さんでした。東京から体一つで和歌山へ来て、「3年間で一人前にしてほしい」と大工をしていた伯父に頼み込み、熱意が通じて住み込みの弟子入りが認められました。

 親方は昭和ヒトケタ、扱う道具は電動工具よりももっぱら昔ながらのノミやカンナ。新城さんの内弟子修行は毎日、仕事場の掃除と親方の道具の刃を研ぐことから始まり、現場では親方の言葉と仕事に五感を総動員しながら、大工としての「木を見る目」を養い、墨付けから木の刻み、材の組み方まで一つひとつの技を体に叩き込んでいきました。同年代の職人は自分よりずっと早くからこの世界に入った先輩ばかり。「一日も早く追いつき、追い越したい」。そんな思いで躍起になって修行に打ち込み、約束の3年間はあっという間に過ぎました。




3年で東京へ戻るつもりが…

 修行の場として和歌山の地を選んだ理由は、伯父が和歌山で大工をしていたというのもありますが、もう一つは和歌山でしか学べない技術があったからだそうです。同じ木造建築でも、東京では5間(約9㍍)、6間(約11㍍)といった長尺の木を使用することはほとんどありませんが、産地の和歌山では6間を超えるスギを扱うことも多く、梁や桁に使う太い丸太を加工するチョンナ(斧)やヨキ(鉞)といった道具も実地に学ぶことができました。

 和歌山での修行は毎日が楽しく、田舎の大工さんが受け継いできた伝統の技を学べることに喜びを感じた新城さん。「じつは、こっちへ来た当初は、3年で大工の基本を身につけたら、すぐに実家へ戻って東京で大工の仕事をするつもりだったんですが、木を扱う大工の魅力にすっかりとりつかれ、いつしかずっとこの和歌山で仕事をしたいという気持ちになりました」。
 
 


まだまだ覚えることばかり


 昔ながらの手刻みにこだわる新城さんですが、施主様の意向によってはプレカット材の建築にも対応します。「機械で加工するプレカット材は注文通りの刻みの正確さがあり、コストを抑え、工期を短縮できるといったメリットもあり、手刻みにはないよさがあります。大工としてはもちろん、プレカットも否定はしませんが、個人的にはやはり、手刻みの方がやりがいをより強く感じます」。

 大工としてのあこがれは、法隆寺や薬師寺金堂の再建を手がけた伝説の棟梁、西岡常一さん。「私にとっては雲の上の人で、お名前を口にするのもおこがましいですが、仕事に行き詰まったときには著作を読んで、原点に帰ることができます」という。和歌山へ来て24年、あらき工務店として独立して8年目を迎えましたが、現場ではまだまだ覚えることばかり。丈夫な家を建てるため、一本一本の木のクセを見極め、骨組みを組んで棟が上がる瞬間には、身震いするほどの興奮を覚える。「山から木を切ってきて、家を建てられる大工になりたい」。そんな新城さんにとって、大工という仕事はまさに天職。教室で夢中になって、彫刻刀で木の模様を掘っていたあのころと変わらず、ものづくりが大好きな少年の目で仕事への想いを聞かせてくれました。



                   







プロフィル



新城繁(あらき・しげる)
1969年11月、東京都葛飾区出身。大型トラックの運転手を経て、23歳で大工に転身。母親の故郷和歌山県で大工の伯父に弟子入りし、2010年に独立した。家族は妻と息子が1人。趣味は釣り。

両さんみたいな子ども!?


23歳で伯父に弟子入り


3年で東京へ戻るつもりが…


まだまだ覚えることばかり